2014年11月3日月曜日

クトナー・ホラ:僧侶か鉱夫の街

 
 50メートル先がまったく見えないような深い霧が街を包んでいる。といっても、これはとくに珍しい光景ではない。プラハの午前はだいたいこんなものだ。午後1時から4時くらいまでの間、気が向けば太陽が顔をだす。昨日もそうだった。
 
 昨日(11月1日)はLに誘われ、クトナー・ホラという街に行った。10時にHlavní nádrazí(メイン・ステーション)に集合。L以外だれが来るのかも知らない。どこに、誰と行くのかすらわかっていなくても、誘われたらなるべくホイホイ着いていくこと。ほんらい出不精なぼくが海外で交友関係を築くうえで自らに定めたルールである。
 Lは10分ほど遅れて知らない女の子とともにやってきた。プラハに滞在中の幼馴染みだという。Cも来るはずなのだが、トラムが渋滞に巻き込まれていているらしい。すでに乗るべき列車はホームに着いている。発車のベルが鳴るなか、ギリギリでCが到着。顔にはまったく血の気がない。よっぽど焦っていたのか、と思ったら、よく見るとゾンビのメイクであった。前日はハロウィーンだったのだ。メイクを落とす時間もなかったらしい。

 クトナー・ホラは銀の発掘で大きくなった街である。13世紀後半に銀鉱脈が発見されて以来、良質なグロシュ通貨(ボヘミア王国の通貨)の製造を担い、16世紀まではプラハに次ぐ繁栄を謳歌した。1726年に造幣局は閉鎖されたが、現在は旧市街とそれに隣接するセドレツ地区が世界遺産に登録されている。
 この街は他のヨーロッパの街とおなじく、ペストによっておおくの死者を抱えこんだ。さらに三十年戦争で甚大な被害を被ることになる。そのときに生まれた何万人もの死者が、セレドツ地区の有名な墓地教会に眠っている。13世紀後半、セレドツの修道院長が、エルサレムにある聖墓からひとにぎりの土を持って帰り、この地にまいた。それ以来この教会は聖地とみなされ、埋葬を望むもの者たちの遺体が中央ヨーロッパ中から集まったらしい。この教会の納骨礼拝堂をみるのが今回の旅の主要な目的のひとつだった。

 墓地教会をことさら有名にしたのはその内装である。教会内部はなんと4万人もの僧侶の骨で飾り立てられている。シャンデリアからレース(?)から、装飾といえるものはほとんど人骨でできている。そのため見た目は礼拝堂というより洞窟といった雰囲気。
 しかし、正直にいって、ここは少し期待外れだった。観光客が多かったこともあるだろうが、陳腐な感じすらした。教会全体が「アート」になってしまっている。Memento mori? ほんとうに人の死を想わせたいのであれば、「アート」になりきらないものこそ示さなければならないだろう。プラハのシナゴーグも、プノンペンのキリング・フィールドも、まったく「アート」ではなった。そこには見るものと見られるものとの間に強烈な断絶があった。

 一番楽しみにしていた墓地教会に出鼻をくじかれ、肩をすくめながら低めのテンションで旧市街へと向かう一行。それにしても、なんだか人が少ない。店もほとんど開いていない。なぜだろう。考えてみると、今日はまだ日本でいう「お盆」週間で、多くのチェコ人は家族で親類の墓参りにいっていることに思いあたる。Putain! 耳馴れたフランス語のスラングが聞こえる。ガイドブックに載っているような店ですら堅く門を閉ざしていたので、しかたなくテキトーにはいったレストランで昼食をとり、聖バルボラ教会へ。

 この教会がすばらしかった。ぼくがチェコで見たなかでは今のところ一番好きな教会だ。アーチ型のフライング・バットレス(飛梁)が目を引く、均整のとれたとても美しい建物で、シンプルなベージュ色の外壁もよく街に溶けこんでいる。見ていてとても気持ちがいい。
 聖バルボラとは鉱山労働者の守護聖人であって、この教会はじつに彼らのために建てられたものである。建築資金についても、そのほとんどがカトリック教会からではなく市民によって調達された。教会内にはランタンを掲げた鉱夫の像や、貨幣を鋳造する職人たちを描くフラスコ画も見られる。Lはすこし照れながらお土産コーナーでポストカードを買っていた。

 鉱山労働。どうやらこれはチェコという国と深い関係がありそうだ。日本にも戦前は多くの鉱山があったというが、そこで働く人々がここでほど讃えられたことはおそらくなかっただろうし、日本の鉱山労働にはとにかく暗いイメージがつきまとう。しかしチェコ人のことを考えると──それこそ社会主義時代など、もちろん悲惨だったには違いないのだろうが──どうしても仕事のあとの美味しいビールが目に浮かぶ。地元のホスポダ(居酒屋)で、ドロドロになった男たちが、皮肉を言いながらも、がやがやとビールを飲んでいる姿が。

 ところで、この街の名前 Kutná horaの由来にはふたつの説があるとされている。Horaは山という意味なので、問題はKutnáのほう。ひとつはその起源を「僧帽 Kutten」にあるとし、ひとつは「採掘 Kutání」にあるとする。どちらが正しいのか、日帰り観光客の日本人にだってわかる。




(写真はヴルフリツェ川の岸辺から仰ぎ見た聖バルボラ教会。きれいなシルエットですよね。)

 

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