今日(10月28日)はチェコスロヴァキア独立記念日だ。プラハ城をはじめ、多くの観光施設、公共施設は閉まっており、街全体にどこかひっそりした空気が漂う。大学もお休み。ぼくも昼過ぎくらいまでは部屋でひっそりしていたが、夕方頃、チェコ人H先生の勧めを思いだし、寮からすぐ近くにある墓地 Břevnovský hřbitovへ行ってみることにした。
墓地は修道院の敷地のなかにあり、いくつかの庭園に囲まれている。この庭園はぼくのお気に入りである。無造作なようでもあり、手入れが行き届いているようでもある開けた空間を、いつも静かな緑が覆っている。ここに来る人たちは、その静けさに配慮するように、すこし小声で話す。
残念ながら入り口が見つからず墓地へは入れなかったのだが、鍵のかかった門を通して、あるいは林のなか、あるいは小高い丘のうえから、なかの様子を伺うことができた。灰色の墓石を背景に色とりどりの花が飾られ、それを普段は見られない赤色の光が照らす。このキャンドルの灯火が夜どおし先祖の霊を祀るのである。チェコスロヴァキアの独立記念日は日本でいうお盆の役割も果たしているようだ。
この国に来て1ヶ月半になるが、チェコ語の能力不足のせいで、残念ながらまだあまりチェコ人と話す機会をもてていない。それでも何人かの(英語が話せる)チェコ人は、ぼくがチェコ語とチェコ文学を勉強しに来たというと、驚いたような嬉しいような顔をして、時にいろいろ話を聞かせてくれる。
ブルノのフランス語高校を卒業してカレル大に来たチェコ人Kの祖父は、共産主義の時代を生き、秘密警察に捕まって、鉱山で死んだ。警察に捕まる前は有能な精神科医だったのだが、鉱山ではだれもそのことを知らなかったという。あるいはKが受講している講義の教授。彼も警察によって大学での職を追われ、掃除夫などをしながらのちに主著となる大著を書き上げた。大学でも伝説的な人物で、現在なんと80歳で教鞭をとっている。
この話を聞いたとき、ぼくらはプラハの旧市街にある、Kの言う「典型的なチェコのホスポダ(居酒屋)」にいた。 店の内壁には有名なチェコ映画のワンシーンを切りとった写真がところ狭しと飾られている。
こういう店がおれは一番好きなんだ、さっきみたいに音楽がうるさいバーじゃなくてさ。深夜2時をまわっていたのにも関わらず、Kはビール片手にとても熱心に話した。
「プラハには『知識人の橋』と呼ばれている橋があるんだ。共産主義に抵抗した知識人たちがそこでよく集会をしていたらしい。今ではもうそれがどの橋のことなのかわからないんだけどね。でもおれはじぶんの国の知識人が命がけで戦ったことを誇りに思うよ。」
考えてみれば当たり前だが、まさかこんな話――それこそクンデラの小説にたくさん出てくるような話――を年下の友人から聞くことになるとは思っていなかった。この国に生きる人間には、たとえそれが20歳の若い学生でも、共産主義時代の暗い歴史がまだナマのものとして身体に染みついているようだ。
1977年、チェコを代表する哲学者であるヤン・パトチカは、のちに大統領となる作家ヴァーツラフ・ハヴェルらとともに「憲章77」という反体制運動の発起人となる。そのために逮捕され、当局の取り調べ中に心臓発作で死んだ。彼もいまはこのBřevnovský hřbitovで眠っている。今日ぼくが見かけた人のうちにも、パトチカやKの祖父のように、時代と戦って死んだ親類の墓参りに来た人がいたかもしれない。
(写真はプラハ城からの夜景。こちらはもう完全に冬です。寒い。)
「存在の・・・」に出てきそうな話!他のクンデラ作品も読みたくなりました
返信削除『笑いと忘却の書』がオススメ!
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