2015年5月26日火曜日

続・偶然について


 昨日はとくになんの予定もないはずの日だった。
 というか、入ってるはずの予定を忘れて、いつも通りボケボケしていた。

 その予定とは、日本から来た5人組のバンド(宣伝したい気持ちはあるが、とりあえず以下Kとする)のライブイベントだ。チェコ人で日本文学を勉強している友人Iのお兄さんSがイベントのマネージャーをやっていて、その関係で、数ヶ月まえから誘われていたのだった。
 いきなり冷え込んだということもあって、持ち前の怠惰さに負け、危うくすっぽかすところだったが、夜9時前、なんとか踏ん張ってライブハウスへ向かった。Vltavskáという駅の近くにある、パッとみた感じでは廃墟のようなところだ。すでに建物の前には酒とタバコとロックンロールな若者たちがたむろしている。
 
 なかへ入ってみるとかなり大きなライブハウスで、すでにチェコのバンドの演奏がはじまっていた。今日のライブに出演するバンドはKを含めて4つで、おそらくそれは2番目のバンドの最後の曲だった。たいして期待していたわけでもなかったのだが、意外と音はよく、まぁ250コルナ(1200円ちょい)払った甲斐はあったな、と思いながら聴いていた。
 Iとその彼女のAと合流し、いつものようにとりあえずビールで乾杯し、次のバンドの演奏がはじまるまで、いったん外にでて雑談。Kのメンバーらしき人たちが階段に座っているのが見える。プラハで、しかもここのように地元の人間しかこない場所にいると、日本人というだけで十分に「浮く」のだが、ヒッピー風の特徴的な格好をしている彼らは、相当に目立っていた。そのなかでもとりわけ目立つ人がいて、やたらと知り合いに似ているなと思った。

 休憩が終わり、Kの演奏がはじまる。とてもライブ映えするパフォーマンスで、ジャンルでいうとサイケデリック・ロックに入るだろうが、ジャズのリズムをうまく取り入れていたのが印象的だった。プラハの観衆も盛り上がり、大きな歓声があがる。ぼくも日本人としてなんとなく誇らしい気分になる。
 しかし、ステージの右端にいたギタリストの動きを見ているうちに、いや、やっぱりぼくは彼と知り合いなんじゃないかと思いはじめした。あの顔と雰囲気は、どう考えてもDさんじゃないか、と。演奏中だったが、暗がりのなかで急いで携帯をとりだし(失礼!)、ネットで調べてみた。すると、やはり、そうだったのだ。「Dさんだ!」嬉しくなったぼくはチェコ人カップルにも報告し、残りの演奏をそれまでとは違った感慨をもって聴いていた。

 Dさんは、ぼくが所属していた大学のゼミの先輩である。2・3年上の学年だったので、ともに勉強する機会はほとんどなかったのだが、ゼミや打ち上げで何回か会ったことがある。でも、ちゃんと話したことはなかったと思う。ただ、顔と名前が特別に覚えやすかったということと、たまたまぼくがクンデラの『存在の耐えられない軽さ』(またかよ)のプレゼンをしたときにゼミに遊びに来ていて、「おもしろいということはわかったんだけど、たぶん読まないと思います」というような発言をしていたので頭に残ったのだ。
 とはいえ、ぼくは彼が音楽をやっているということすら知らなかった。ましてや20以上の都市をまわる大規模なヨーロッパ・ツアーを敢行しているなんて。

 ぼくのことを憶えているかどうか定かでなかったが、一言声をかけて確かにわかったことは、Dさんとぼくを繋ぐこのゼミが、ぼくにとってはもちろん、きっとDさんにとっても、すごく大事なものだったということだ。ゼミの名前を持ちだしたときの彼の反応は、年下のぼくが言うのもなんだが、子供のようだった。

 このゼミが存在せず、先生と出会っていなければ、ぼくは文学を勉強してなんかいないし、ましてやチェコになんか来ていない。シタールとギターの心地よい轟音のなかから、ゼミの仲間たちや先生の顔が浮かんだ。「おい、S(ぼくの苗字)、いいのかそんなんで! ダメじゃないか!」 うかうかとプレゼンなどしてしまった時は、よくこんな風に先生に叱られた。


 それにしても、偶然というのはほんとうに恐ろしい。

 まったく予想もしていなったことが、さも当然のような顔をしてあなたの家に踏み込み、お茶の間あたりにドサッと居座る。あまりに目立つ、あまりに場違いなそいつのせいで、ある日を境に人生の風景がガラっと変わる。ということだってある。

 学者になるにしてもじぶんで何か書いていくにしても、今どき文学の世界に生きるのは大変だ。音楽の世界は、もっとそうだろう。「マトモな」神経じゃやっていけない、とすら言えるかもしれない。どうにかして現実以上のものを見つけだし、それに頼らなければいけない。
 だからぼくもこういう偶然をつかって、ぼんやりとじぶんのこれからを見立ててみるのである。
 

(写真はライブハウス前での一コマ。留学生活もあと3ヶ月弱。頑張ります。)

 

2015年5月20日水曜日

雨の指をもつ街


 雨が降っている。

 チェコの代表的な詩人ネズヴァルに『雨の指をもつプラハ』という詩集があるが、この街はほんとうに雨がよく似合う。
 もう5月も終わりに向かっていて、本来なら春まっさかりなのだが、それでもときどき雨が降ると、ああ、プラハは雨の街だった、と、思いだす。

 夜もそうである。プラハは昼間より夜のほうが良い。日没前のマジックアワー、空全体が少しのあいだ紫に染まり、その面影を引きずりながら、ひっそりと夜が訪れる。

 雨と夜。濡れた石畳みの舗道が橙色の街灯に照らされると、なんとも哀しげで、それでいてなんとも妖艶な雰囲気をかもしだす。「雨の指」が、プラハを撫でるのだ。ぼくの知る限り、こういう街は他にない。

                 * * *

 3ヶ月以上ブログの更新をサボっていた。チェコ語とじぶんの研究に追いまわされ、まったく時間がとれなかった。ここでの生活にも慣れ、前学期ほど刺激がなかったということも確かだ。
 それでも幾つか書くべきことはある。学部時代のゼミの後輩I、そして両親と妹の来訪。ブタペストとチェスキー・ラーイ(ボヘミアの天国!)への旅行。あとは先週の音楽祭「プラハの春」参加。
 新しい出会いもあった。エラスムスでフランス人のJ、タンデムパートナーのチェコ人B。カレル大日本学科の学生IとAのカップル。さらにクンデラ専門の教授で今や「きみ呼ばわり tykat」のČ教授。前期にくらべるとかなり「チェコ寄り」なラインナップである。ある人とはすぐに仲良くなったが、ある人からはすでに逃げ出したくなっている。 
 いずれにせよ、今期はチェコ語にどっぷりだった。授業は毎日、すべてチェコ語(語学)かチェコ語で行われるもの(文学)だったし、学校以外でも意図的にチェコ人の人たちと絡むようにした。自然とエラスムスの友人と出歩くことは少なくなったが、こればかりは仕方がない。身体はひとつしかなく、学期はふたつあって、しかもぼくは同じことを繰り返すのが苦手なのだから。
 ちなみにルームメイトのカシウスにはついに決まったパートナーができ、それはやっぱりいいことだと思った。

 そんなこんなで春学期も終わろうとしている。エラスムスの友人も、日本人の友人も、大抵はあと1ヶ月ほどでそれぞれの国へ帰っていく。彼らがいなくなったあとの暮らしはあまり想像ができないが、たぶん、かなり、静かなものになるだろう。でも、もしかしたら、さらにビール漬けの日々になるかもしれない。

 言い忘れていたが、プラハの春は美しい。日は長く、9時くらいまでは明るいし、なんとたくさん桜も咲く。近くの公園でビール片手にピクニックを楽しむ人も多い。ぼくの住む寮の裏にはブジェヴノフ修道院という緑ゆたかな庭園をもつ素晴らしい修道院があるのだが、天気の良い日にここで2・3時間本を読むのが最近の大きな楽しみである(比べられても迷惑だろうが、個人的にはこの場所はヴェネツィアのザッテレに匹敵する)。
 とはいえ、このぽかぽかした春がプラハの「真の姿」かと言われると、それはすこし違うように思う。この街の魅力の底知れなさは、陽の光では照らし出せないところにある。

 最初に触れた『雨の指をもつプラハ』に収められたある詩は、このように終わる。

上のほうをさす指 
黄昏の手袋をしたティーン教会の 
キクラゲのような雨の指 
涜された主人の指 
ひらめきをくれる指 
関節のない長い指  
この詩を書くわたしの指 
  (Vítěslav Nezval, Město věží, 拙訳) 

 残りすくない留学期間も、週に1度くらいは雨が降ってくれればいいなと思う。


  (写真は旧市街広場。奥に見えるのがティーン教会です。)