今日は風邪気味なので部屋で安静にしていることに決めた。季節の変り目だということもあるだろうが、年甲斐もなく毎晩よる遅くまで飲み歩きすぎたのかもしれない。
そもそもぼくはあまり頻繁に夜遊びできるタイプの人間ではない。とくに夜が明けるまでパーティーなどがあった日の翌日は、何もしたくなくなる。人は皆だいたいそうなのかもしれないが、ぼくの場合は極端で、ほんとうに何もしたくなくなるのである。ほとんどオブセッションといっていい。体の奥のほうがなにかとても柔らかくて繊細な生きものにでもなってしまったかのように、外気に触れたくない、外に出さないでくれと囁くのである。そんな内からの声を何日も無視すると、今日みたいなことになる。
この週末、何人かの愛すべき友人たちはミュンヘンにいてプラハにいない。エラスムスの学生のための大きなバスに乗って、有名なオクトーバーフェストを見にいった。じつはぼくも行く予定だったのだが、止めることにした。ヴェネツィア留学の際にできた親しい友人Mが、たまたま妹の引っ越しの手伝いのためミュンヘンを離れているらしいからだ。完全に行き違いである。ミュンヘンに行くんだったら、Mに会いたい。Mのいないミュンヘンには、ほとんど行く価値がない。ヨーロッパのいくつかの街は、すでにぼくにとってはそのようなものになっている。
日本をはなれて三週間弱。プラハももう身体に馴染みはじめている。それと同時に、チェコ語も耳に馴れはじめた気がする。文法的には恐ろしく複雑な言語だが、音としてはほかのどんな言語とも等価である。頭はついて行かなくとも、自然と身体は覚えていく。人間の、というより動物の、適応能力とは、ほんとうに凄まじいものだ。
ヴルダヴァ川を見ると、すでに郷愁に似たものを感じてしまう。一週間ほどまえ、フランス人主催のフラット・パーティーで、同じ学部のアルゼンチン人がプラハをメランコリックな街だと言っていたが、ぼくもそれに深く同意する。メランコリーと郷愁は、なぜかぼくのなかで強く結びつく。
メランコリーは古代ギリシャ時代から大きな罪とみなされ、長い間その病因は身体のなかの「黒い胆汁」だと思われてきた。人を憂鬱にさせ、やる気をなくさせ、愚かしい行動をさせるもの、そのような気分障害のほとんどが、メランコリーによるものだとさえされていた。たぶん、メランコリーのもつこのような停滞の感じが、郷愁の感覚と繋がるのである。それは未来へと人の背中を押してくれるようなものではない。かといって、人を過去に縛りつけるだけのものでもないだろう。
留学とはたいがいそういうものである。と、ぼくは思う。着いたときには、もう去るときのことを考えている。あるいは「なにを見てもなにかを憶いだす」。だから留学の地は、つねに過去と未来が行き交う交差点のような場所になる。その点は、現在とも少しちがう。過去と未来のあいだで漂う、ふわふわした中空地帯である。
(写真はプラハ城近くのHradčanské náměstí. 今回はすこし文体が堅めですね。まだまだ試行錯誤中ですが、とうぶんこの感じで書くと思います。)
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