昨日(10月10日)は、プラハに来てから最も長く、タフな一日だった。
まずこの日、ぼくはチェコの税関で止められていた荷物を取り返しに行かなければならなかった。荷物のことを知らせる手紙を読んだのが7日の火曜日( じつは20日前に寮に届いていたのだが、寮からの説明が不十分だったために受け取りが遅れた)。そこにはよく見ると内容をおおまかに英訳したサイトのリンクが小さく書いてあったが、手紙自体はすべてチェコ語。おそらくかなり重要な知らせが、じぶんにはほとんどわからない言語で書いてある。この時点でこちらのストレスはかなりのものである。チェコが嫌いになってもおかしくない。
しかもその手紙には、荷物を送って欲しくば、その内容(具体的には研究に必要な本・厳しい冬を越すためのコート類・お気に入りのワックス・先生からもらったゴジラのフィギュア)が私有物であって商品ではないことの宣言と、服なら服、本なら本を購入したことを示す領収書の類いが必要だと書いてある。ここでぼくのストレスは許容量を完全に上回る。
段ボールにつめこんだ全てのもののレシートなんて、あるハズがない。あったとしても、たまたま留学先にそんなレシートを持ってきているハズがない。万事休す。これが本場のカフカ的不条理か。荷物は最悪破毀される可能性がある。ぼくの絶望は相当なもので、この時チェコはぼくにとって完全に敵だった。
しかし幸運にも、以前日本の大学でチェコ語を教えていたチェコ人のH先生の助けを得、どうやら住居の証明とパスポートのコピーなど簡単な書類をもって直接税関/郵便局に行けば荷物が返ってくるかもしれないことがわかった。ということで、ぼくは10日の朝、城へと向かう測量士Kさながら、巨大な官僚制との闘いを前に、士気を高めつつ、黙 々と準備をしていたのである。
が、そこに災難が降りかかる。日頃から貴重品を入れている小さな箪笥の鍵が、ちょうど鍵穴に指しこんでガチャガチャしているときに、ねじれて折れてしまったのだ。当然鍵は閉ったまま。箪笥のなかには荷物を取り返すために必要な書類がまるまる入っている。明後日の方向をむいて数分間放心したあと、どうしようもないので寮のレセプションへ。 どうにかカタコト(以下)のチェコ語で状況を説明すると、すぐに鍵屋を呼んでくれた。意外にもこの鍵屋はすごかった。電話してものの数分でぼくの部屋に到着、鉄製の大きな釘抜きのような工具で箪笥を破壊しつつも鍵穴をまるごと取り出した。驚くべき速さで仕事を終え、爽やかに帰っていった。
朝は大幅に遅れることを予想していたが、 我が寮特有の(?)局所的迅速さのおかげで、ほぼ予定どおりに郵便局/税関に辿りつくことができた。正午。こころの準備はできている。H先生からのアドバイスを思い起こす。「絶対にチェコ語は喋るな。英語で押し通せ」。
アドバイスに従ってはみたものの、職員のほうはこちらの予想よりも英語ができず、そのためか郵便局と税関を3回ほど往復させらたが、とにかく手続きは1時間ほどで完了、無事に荷物を引き取ることに成功した。誇らしい気持ちで段ボールを抱え、トラムを乗り継いで寮へ帰る。ほっと一息、つく間もなく、シャワーを浴び、寮の地下二階、パーティールームへ向かう。午後4時。日本人の留学仲間たちと韓国人Oとで「手作り餃子パーティー」を開くのである。
チェコで餃子をつくる。なかなかおもしろい経験だった。ヨーロッパで韓国人や中国人と一緒にいると、やはり大きな文化的基盤の存在を感じる。料理などしていると特にそうである。わざわざ喋らなくても自然と「阿吽の呼吸」のようなものが生まれる。ここにぼくの知る限りトラブルはなく、アジア的和やかさのなかで美味しい餃子を食べることができた。
さて、午後8時、餃子パーティーを早々に抜け出し、次なる現場へ向かう。スペイン人Mのフラットでの夕食に招かれたのである。夕食! スペイン人の夕食は遅い。10時過ぎることも稀ではないとか。すでに餃子で一杯の腹を抱えてPankrácというメトロの駅へ。駅につくと、そこにはフランス人Ch、H、L、そしてスペイン人Mの姿が。ぼく意外みなラテン系である。餃子パーティとのギャップは大きい。
近くの大型ショッピングモールで買いものを終え、フラットへ。みんなでTortilla de patatas(スペイン風オムレツ)をつくる。ぼくにとっては本日二回目の料理/夕食。こちらも大変美味であった。調子に乗って食べ過ぎる。フランス人C、アルゼンチン人Mが合流。食事のあと、なぜか母語で有名な歌をそれぞれ歌おうという流れになり、それぞれ「見上げてごらん夜の星を」、"Volare"、"Non, Je ne regrette rian"を歌い、お次はDrinking gameをすることに。このゲームで惨敗したぼくは大量のラムを飲むハメになった。
どうやらぼくは吐きやすい体質のようで、酒に酔っていなくても、たとえば食べ放題やビュッフェなどに行くとつい食べ過ぎて吐いてしまう。なにか胃にいれてから吐き気を催すまでのタイム・ラグが大きいというか。吐き気の反応が鈍いというか。消化器の蠕動が激しすぎるのか。中高生のときに焼き肉食べ放題に行ったあとに吐いてしまい、友人たちに笑われてたのをよく憶えている。
とにかく、昨日のぼくはバカだった。ビール、餃子、ビール、ワイン、パン、チーズ、ワイン、オムレツ、ラム、ラム、ラム。食べ過ぎ×飲み過ぎ。税関での勝利に浮かれていたのかもしれない。やはり最後のラムが効いていたらしく、フラットから次の目的地を目指してダウンタウンへトラムで移動しているときに急に吐気をもよおし、途中下車して嘔吐。そんなぼくを見かねたChが、親切にも、じぶんの部屋に空きベッドがあるからよかったら泊まっていってもいいと言ってくれる。じっさい1人で寮まで帰る気力もなく、恥を忍んで厚意に甘えることに。ここで皆と別れ、Chの部屋へ。トラムで3駅のところだったが、部屋の最寄り駅で堪えきれずまた嘔吐。あやうくトラムに吐瀉物をまき散らすところだった。
旅の恥はかき捨てというが、留学の恥はそう簡単にかき捨てられるものではない。土地が忘れても、人が憶えている。
ぼくの好きな画家フランシス・ベーコンは、「じぶんの絵は、ナメクジのように人間存在の跡を残しながら人間が通ったことが感じられ、ナメクジが粘液を残すように過去の出来事の記憶の跡をとどめるものであってほしい」と言っている。とはいえ、さすがにぼくのゲロとベーコンのナメクジとでは対比にもならない。
(写真は上述のゴジラ。今回は、 長くて汚い話ですいません。)
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