「なんでクンデラを選んだの?」
おなじ質問を何回されたかわからない。まがりなりにも文学を研究している人間、とくに1人の作家、それもまだ評価が完全に定まってはいない現代の、というか現役の作家を研究している人間にとって、この質問はいわばサダメのようなものである。フロベールやセルバンテスやドストエフスキーを研究するのに、表立った理由はいらない。
「彼の作品が好きだからです。」
これが一番シンプルな答えだ。でもそれだけじゃ相手は納得してくれないから、仕方なくもごもごとなにか喋ることになる。この「もごもご」が論文になったり本になったりするのだが、実はこの国でミラン・クンデラについてもごもごするのはことさら厄介だ。
先週末はチェコ第2の都市ブルノに行った。日曜日にチェコ人むけの日本語検定試験があるので、その試験監督のアルバイトがてら街を観光してしまおうというわけだ。
土曜の朝6時に起き、カシウスと「別れのポメッロ」(ポメッロとはスペイン語でグレープフルーツのこと。日本のものより大きくて美味しい)を食べ、トラムの駅へ走る。プラハ中央駅から電車で2時間半。車内では翌々日のプレゼンに備えて『存在の耐えられない軽さ』を急いで読みかえした。現地はあいにくの雨だったが、感じのよいホステルに泊まれ(Hostel Fléda)、すばらしいレストランに当たり(Hostinec U Semináru)、海外で日本語の試験を監督するという得がたい経験ができた(試験内容はかなりむずかしかった。留学仲間のKHさんが言うように、たしかに「日本人でも空気の読めない人は正解できない」だろう)。
だが、まさかブルノでこのサダメられた質問にでくわすことになるとは思っていなかった。皮肉にも、クンデラの生まれ故郷であるブルノで。
「なんでクンデラを選んだの?」
午後5時半ごろ、ちょうどメインステーションでプラハ行きの電車を待っているときだった。試験を受けたチェコ人の学生や、おなじ監督業務にたずさわったチェコ在住の日本人がホームに集まっている。今回の相手はチェコで30年以上も暮らし、チェコ語の通訳などをしている男性。カレル大学を卒業した最初期の日本人の一人だという。ぼくは手袋をした手でダッフルボタンをいじくりながら答えた。
「う〜ん、たまたま彼の小説を読んで好きになったっていうのが一番素直な理由ですかね。ぼくは大学でチェコ語専攻だったわけではないので、チェコから入ったんじゃないんですよ。」
「そうか、今でもチェコの60年代を知ってる連中のなかには、『アイツは逃げたんだ』って言うやつもいるよ。」
ぼくは苦笑いを浮かべ、黙ってうなずいた。これを境にクンデラの名前は会話から消えた。
はっきりいって、ミラン・クンデラはチェコで嫌われている。しかも残念なことに、それには当然といっていい理由がある。フラバルら多くの同時代作家と違いフランスへ「逃げた」こと、秘密警察への密告疑惑があること、移住してしばらくしてフランス語で書き始めたこと、最近はじぶんが「フランスの作家」として認識されるべきだと発言しており、ついに自作品のチェコ語への翻訳を禁じはじめたということ、加えて極度のマスコミ嫌いなうえに、本人自身、かなり「むずかしい」性格の持ち主だということ。
つまり、控えめにいっても、チェコ人にとってクンデラは「嫌う理由の宝庫」なのだ。チェコ人だけではない。チェコ通の外国人もたいていクンデラを嫌っている。一方クンデラにしても、彼らにたいして悪びれる様子は微塵もない。むしろそんな母国との関係を作品に生かしている。裏切り者としてのじぶんを強く意識している。
裏切り。じっさい、クンデラにとって裏切りは重要な文学的テーマである。彼の裏切りへの過剰とも思える身ぶりには、どこか強く人を惹きつけるものがある。そこでは自己肯定と自己否定が一緒くたになっている。
いずれにせよ、クンデラについてなにか書くのであれば、彼の裏切りに負けないように書かねばならない。この国にいると、そんな思いが日に日に強くなる。
(写真はブルノのカフェから見上げる聖ペテロ聖パウロ大聖堂。この聖堂、迫力がすごいんです。)
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