2016年8月12日金曜日

母語が頼りなくなること:サマースクール編(その1)


 1ヶ月だけだが、チェコに帰ってきた。7月26日にプラハに到着して、8月1日から研究ついでにいわゆるサマースクールに通っている。
 この夏期学校、プログラムとしてはカレル大学の哲学部に所属しており、正式には「Letní škola slovanských studií スラブ語学サマースクール」という。ほんとうはちゃんとチェコ語のウォームアップをして準備万端で臨むはずだったのだが、不慮の事情がもろもろあって、例のごとくまた準備不足のぶっつけ参加になってしまった。ここらへん、われながらまったく成長しない。

 それはともかく、今回のサマースクールには正直すこし戸惑っている。じつは去年もべつのサマースクールに通ったのだが、そちらは社会人と学生がいり混じった、どちらかというと実践むきの、Ujopという語学学校でのものだった。能力別におそらく全部で4つか5つに分けられるクラスのうち、僕のはいったクラスには生徒が5人ほどしかおらず(たぶん全体でも50人に満たないだろう)、先生は期間中ずっとおなじで、授業は4時間ぶっつづけ。いろんな意味でかなりインテンシヴだった。
 しかし今回はそれとはまったく違う。生徒は200人をゆうに越えているし、レベルは同じく4つあるが、さらにそれぞれ3つにわけられ、全部で12のクラスに細分化される。授業の内容にもかなり幅があり、一番上のクラスはものすごくハイレベルで(なんと母国でチェコ文学を教えている教授なども学生として出席している)、望めばアカデミックな講義も受けることができる。授業は1日に4つとることになっていて、必修科目と選択科目の組み合わせという感じ。平日は授業後、土日は朝からエクスカーション的な観光ツアーがきっちりプランされているし、学生に斡旋される寮にはご丁寧に朝・昼・夜と毎食メンザ(食堂)での食事が用意されている。見方によっては「至れり尽せり」というわけだが、基本的に団体行動や緊密な計画というものが肌にあわない僕にとっては、間延びした修学旅行みたいでぜんぜん落ち着かない(ちなみに僕はエクスカーションにまだ一度も参加してないし、寮での食事もほとんどしていない)。
 いやはや、先が思いやられる……という感じだが、愚痴めいた現状報告ばかりしていてもしょうがない。もうすこしマシなことを書きましょう。

*   *   *

 数日前にきづいたことだが、僕には日本をしばらく離れるとどうしても聴きたくなる音楽がある。Thee Michell Gun Elephant, Rosso, The Birthdayなど、チバユウスケという男を中心に結成された一連のバンドの曲だ。なかにはわりと複雑な構成のものもあるが、基本的にはブルース、パンク、ロックを基調としたシンプルな曲をつくる。曲もいいし、声もいいし、歌もいい。しかし僕にとってなんといっても重要なのは、チバユウスケの書く歌詞だ。キレアジバツグンである。たとえばこのごろ毎日聴いているThe Birthdayの「シルエット」という曲のサビは、

シルエットは 
思ったより 
長くて僕は
巨人になってた 
夕焼け色 
燃えあがってた
すぐそば 
隣で

という、じつに簡単な、けれどもすごく印象的で強い言葉で書かれている。このあとには「これならお前を/守れるだろう/どんな/ものからも//そう思ってた」という、すこし恥ずかしい言葉がつづいたりもする(最近のチバは意図的にこういうストレートな詞を書いているように思える)。しかしなんにしても、16歳のときにニュージーランドにホームステイした時からヴェネツィア留学をはさんで現在にいたるまで、僕は日本のそとではずっとチバの詞に頼ってきたし、そのたびに安心させられてきたのである。

 その理由が、数日前にわかった。曲調に元気づけられるということもあるが、なによりも僕の母語が頼りなくなっているのだ。
 単に日常の場面で使えないという意味でも頼りないし、日本語の世界そのものの基盤がゆらいでいるという意味でも頼りがない。外国語の侵入によって母語が弱くなっていると言ってもいい。だからチバユウスケの歌詞のように強くて頼もしい言葉がほしくなる。そういう言葉にしがみつくことによって、なんとか日々の安定をたもっている気がする。

 頼りないとか弱いとかいうとネガティヴに聞こえるが、僕はこの状態が嫌いじゃない。この状態になると、自分にとってどうでもいい言葉は見事に出てこなくなる。いらない言葉は遠くの靄のむこうで見えなくなるし、大事な言葉は手づかみできるくらい近くに感じる。これがずっと続くのがいいことだとは思わないが(だからやっぱりクンデラには同情する)、でもたまには、こうやって母語を濾過してみるのもいいだろう。
 


(写真はプラハ郊外、ヴルタヴァ川沿いのModřanyという駅で撮ったもの。イメージとはだいぶ違うのでしょうが、プラハにはこういう一面もあるのです。時にロックなのです。)

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