2015年1月29日木曜日

エラスムスの最期(Part1. 年越し編)


 なぜかここにいない人のことばかり書きたくなる。だれかがいなくなってしまったこと。いまそのだれかがいないこと。筆不精のぼくがなにか書く気になるのは、もしかしたらほとんどそんなことについてなのかもしれない。

 この1ヶ月で何人かの大事な友人に再会し、何人かの大事な友人がこの街を去った。ここずっとなにも書けなかったのも、そういうことで忙しかったからだ。ある人が目の前にいると、なかなかその人について書けない。別れが去ってはじめて、別れについて書くことができる。
  でも、いつも思うのだが、去ってしまったものについて書くのはぜったいに追いつけない相手にレースを挑むようなものなのだ。だからあまり差をつけられてしまわないうちに、再会のほうから書いていこうと思う。

2014年12月30日。妹とSの誕生日。
 夜8時頃、寮をでて、空港へむかう。日本から遊びにきたTを迎えに行くのだ。Tは5年来の友人。今はT市のシティー・ホールで働くオペラマニアだが、ともにヴェネツィアに留学した仲間であり、元ルームメイトでもある。
  そとは雪が降っている。澄んだ大気中でも白一面の道路でも、ところどころ凍った雪が街灯に反射して鉱石のように光る。最寄駅でバスを待つあいだ、粉雪が牡丹雪に変わり、傘に降る音もやわらいだ。
 じつはぼくの住む寮 Kolej na Větrníkuは空港に近く、バスに乗ると30分かそこらで着いてしまう(これだけが取り柄の寮である)。空港でさらに半時間ほど待つと、Tがゲートから出てくる。留学直前にも一度会っているので「感動の再会」というわけにはいかないが、なにより元気そうだ。その証拠に、顔が丸くなっている。

12月31日。大晦日のプラハ。
 この日の白眉はなんといっても街中で打ちあげられる花火だ。これほどまでにすごい花火は見たことがなかった。
  花火のクオリティーがすごいのではない。その数と、無秩序っぷりがすごいのだ。11時を過ぎたあたりから、いったい誰がどのように仕掛けているのかしらないが、とにかくランダムに、いたるところで打ちあがる。ふつうの爆竹もあるにはあるが、ほとんどは轟音をともなうかなり本格的なもの。しかも店の窓ガラスに直撃しようがお婆さんが驚いてすっ転ぼうがお構いなし。飛びかう悲鳴と歓声、通りを覆う煙、厳重に武装した警官、そして火薬の匂い。ふつう日本人がイメージする優雅な「花火大会」とはほど遠く、空気はむしろ戦場である。
 ぼくらはこの異様な雰囲気にアテられ、かんぜんに浮足だって、ムーステックに溢れる人々とともにカウントダウンし、屋台で買ったシャンパンで新年を祝う。どこから来たかもわからない外国人が(イタリア人がやたらといたのはたしかだが)笑顔でHappy New Year! と言ってくる。 海外での年越しはこういうところが楽しい。5年前のロンドンを思いだす。Šťastný nový rok! もちろんチェコ人の声も聴こえてくる。

 30分ほどカメラ片手にヴァーツラフ広場を練り歩いたあと、国民劇場のまえで仲の良い友人たちと合流。ドイツ人Aとその彼氏の同じくドイツ人M、イギリス人N、チェコ人Kとその彼女のイタリア人V、さらにチェコ人AとM。これにぼくたち日本人2人を合わせて計9人。けっこうな大所帯となった。
  ぞろぞろとトラムに乗り、ブルダヴァを越え、丘をすこしあがったカメニツカーで降りる。近くのパブに入り、いっしょにビールを飲む。われらがドイツ人カップルの飲みっぷりは流石なもので、重度の西ヨーロッパ人嫌いだと思われるチェコ人Aのメガネにも適った様子(「お前ら、おれが会ったなかで一番良いドイツ人だよ、ハハハハハ!!」「えっ、ほかのドイツ人? や、ドイツ人ってのはたいていどいつもこいつも……」)。
 その後、店にいた酔っぱらいと一悶着おこしてから、フランス人Chと合流するという名目でレトナー公園へ。昨日から残る雪でまっ白、深夜は3時を回っていたと思う。ものすごく寒い。さんざん彷徨ったあげくChに会うことはできず、悪天により美しいプラハの夜景をおがむこともできず、おまけに(一向に成長しない)ぼくはまたもや飲みすぎで吐くハメになった。

 朝6時ごろ、みんなにさよならを言うまえにひとり汚れた口を雪で洗う。丘のうえからかすかに見えるヴルタヴァが泪に滲む。バカにはちがいないが、なんとなく粋な気分で1日を終える。

2015年1月1日。元旦。
 目を覚ますと午後2時をとっくにすぎている。この日はミュシャ(チェコ語に忠実な発音では「ムハ」)の「スラヴ叙事詩」を観にいく予定だったのだけれど、時すでにおそし。茫然としつつも食欲には逆らえず、食べものをさがしに寮をでる。が、スーパーからカフェから、店という店はどれもしっかり閉まっている。しょうがないので部屋にかえり、クリスマス・プレゼントとして日本から送ってもらった即席麺を食べることに。「どん兵衛」と「ラ王」。立派な「年越しそば」である。なんとか胃を落ちつかせたあと、フランツ・カフカゆかりのカフェ・サヴォイまで足をのばし、お茶をする。正月から観光客まみれだが、さすがに良い店だ。カフェをはなれ、Tがカンパ美術館に行っているあいだ、ぼくは課題のエッセイを書くつもりでいったん寮へもどり(失礼!)、仮眠(失礼!!)。
 5時半ごろ、再度Tと合流し、予約してある行きつけのレストラン Konviktにむかう。Tにはここで筆者イチオシの「ブタひざ丸焼きVepřové pečné koleno」 を食べてもらった(猛々しくナイフのささったこの巨大な肉塊はぼくの大好物で、3日で2つ食べたこともある)。破裂寸前の腹をかかえて、つづくは市民会館でのニューイヤー・コンサート。ドヴォルザーク(チェコ語に忠実な発音では「ドヴォジャーク」)のスラヴ舞曲をぶっつづけで演奏するという珍しい公演だった。年明けから郷愁あふるるスラヴ的なものに触れることができ、感慨深かった。

 コンサートのあとTはまたKやAと会いたがったが、さすがにみんな二日酔い気味で、そとを出歩ける気分ではないらしい。というわけで、元旦の〆は、現代チェコを代表する作家ボフミル・フラバルが足しげくかよったことで知られるホスポダ、U Zlatého Tygraへ。ぼくの知る限りプラハで一番のビールをだす居酒屋である。
 「大」がつくほどの酒飲みのTも、ここのプルゼニュスキー・ブラズドロイには舌を巻いていた(ちなみにプラハ滞在中の彼のビールの飲みかたは常軌を逸している。席につくがはやいが500mlのビールをオーダーし、ウェイターが食事の注文をとるまえにそれを飲みほしてしまう。当然ながら、料理が来るときにはもう2杯目をなかば飲み終えている)。どうしたって観光客にしか見えない日本人ふたり組だが、地元のおっさんだらけの店内で閉店までねばり、部屋にかえって上機嫌で眠る。

1月2日。朝。
 Tとともに飛行機に乗ってイタリアへ。5年ぶりのヴェネツィアが待っている。


(写真は1月1日、餓死寸前の状態で撮影したもの。シリーズ「エラスムスの最期」、まだ続きます。)

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